昭和から平成にかけて日本を震撼させた「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の発生から35年が経過しました。この事件で命を奪われた4人の幼い少女たちにとって、宮崎勤という人物は何者だったのでしょうか。初公判では、彼の言動が不可解でした。捜査段階での供述を一転させ、彼は「ネズミ人間」の出現や、マネキンのようなものが落ちていたと話しました。公判中は居眠りをするかのような様子も見せ、リアリティの欠落した単調な言葉を繰り返しました。
その後の公判の中で、勤は遺体にシーツを掛けた理由や遺骨を舐めたことなどについて尋ねられましたが、彼は「おじいさんの復活の儀式をやった」と答えるなど、非常に奇妙な回答をしました。
一方、被害者家族たちは事件後、悲しみと苦悩に苦しむ日々を送っていました。被害女児Aちゃんの父親は、夢の中で娘から絵を描いてほしいと言われたことを語りました。彼は書けることがあるのに病気で倒れ、家庭も壊れてしまいました。被害女児Bちゃんの父親も、事件を忘れようとして新聞をやめ、家族関係もゴタゴタして別居する羽目になりました。
勤の逮捕後、彼の実家では様々な出来事が起きました。勤の父親は橋から身を投げて自殺し、勤の叔父も数年後に亡くなりました。勤の母親は近所の人たちを回って謝罪し、勤のお父さんが土下座して泣く光景も目撃されました。
勤の拘置所では、雑役係として働いていた人は、勤が牛乳を差し入れされる特典を得て、ロリコン雑誌をよく読んでいたと証言しています。勤は拘置所でぶくぶく太り、頭も禿げ上がり、髪もボサボサだったと言われています。
死刑確定から2年4か月後の2008年6月17日、勤の死刑が執行されました。勤の言動については詐病だとする識者もいますが、彼の言葉は犯罪解明の資料となり得るものであったと思います。
この事件は、他の理解困難な殺人事件を解明するための重要な資料となりました。そして、被害者家族と勤の関係についても明らかにされました。勤の実家は現在、老人のゲートボール場となり、墓も荒れ放題となっています。
&Buzzとしては、この事件で被害を受けた人々の苦しみがいつまでも続いていることを忘れずに、彼らを見守っていくことが重要です。また、この事件をきっかけにして、似たような事件が起きないようにするための取り組みも大切です。事件の被害者や家族に対して、支援や安心感を提供する取り組みを行っていくことも、我々の役目です。
